現在、子育て中のお母さんたちは親として子供の教育にはものすごく関心があると思います。基本的に元気に育ってくれれば満足だと思いますが、やっぱり親の欲目というか今の厳しい世の中で、人に騙されたりせず、人よりちょっと幸せに生きていけるぐらいには賢い人間になって欲しいと考えることでしょう。
一昔前は、頭の良い学校に入れるためにスパルタ教育や詰め込み教育が問題になり、受験時期のストレスで子供の自殺が増えてしまいました。そのため、過度の教育は正しくないという考え方が一般的になったと思います。
では、個性を大事にする方法としてゆとりを持った教育をすれば、今度はゆとり世代だとか悟り世代だとか揶揄されてしまい、自分のせいではないのに嫌な思いをする若者たちもいらっしゃるでしょう。
教育方法は様々ですが、学校の教育方法がどのようなものにしろ頭の良い子供というものはいつの時代にもいるものです。つまり、子供を育てているのは学校だけではなく家庭のお母さんの力も大きいのです。
そこで、この賢い子供を育てたお母さんに共通する育て方や教育方法について少し考えてみましょう。
賢い子供を育てるには、教育方法の善し悪しよりも親がどう接しているかで決まる⁉
東大生を持つ母親の特徴としてあげられるものの中に、「親が良く話を聞いてくれ た」というものがあるそうです。この話を聞いて、自分はよく話しているし、話を聞 いていると思っている親御さんのほうが多いと思います。
しかし、この話の特徴は東大生である子供側に話を聞いたものなので育てられている側がそう感じていなくてはならないということが重要です。
最近、「承認欲求」という言葉が良く聞かれるようになりましたが、話を聞いてもらえると自分のことを認めてくれていると実感するようになります。
また、自分の話を聞いてもらうことで、自分のことだけでなく人の気持ちを理解しようとするお手本にもなります。この気持ちは大人になっても人との接し方や仕事の取り組み方などに影響を与える重要な欲求の一つです。
この欲求は自分に自信がない人や劣等感の強い人ほど認められたいと思う傾向がありますが、小さい時から何かができたら褒めるけどそのほかの時は全く褒められなかったり、他の兄弟と比較されて育った子供に特に顕著です。
子供にとって親が自分の話をしっかりと聞いてくれる相手と認識してくれることが大切ということでしょう。
子供が小さなうちは褒められると素直に喜びを表現してくれますが、ある程度大きくなってくると褒めてもあまり反応が無いように見えます。
ですが、実はしっかりと聞いていてその様子を覚えていたりするので、大きくなってもしっかりと話を聞いて褒めてあげることが大事なことだと思います。
スパルタ教育で育つ子供たち、詰め込み教育は本当に悪なの?
スパルタ教育でも育つものがあります。もともと軍隊を育てるための訓練のことを表す教育方法ですので、規律や集団行動、忍耐といった精神構造が鍛えられるというメリットがあります。
どんなお子さんでも基本的に変わらないことは、「勉強よりも遊ぶことが好き」ということでしょうか。なかには勉強が好きという子もいるかもしれませんが、基本的に好きなこと、楽しいことしかしないと思います。
そんな時に、決まった時間勉強をさせることは心の痛いことだと思います。スパルタ教育で失われてしまうのは自主性や個性、感情といったもので、無理やり何かを強制することは自由を奪ってしまうことにもなりかねません。
なぜ勉強をしなければならないのか理解を促しながらすることができれば必ずしも悪い方法とは言えないでしょう。
特に最近感じることは、学校に行く世代より前の保育園にいく2歳や3歳くらいの子供をもつゆとり世代だった若い親御さんが教育熱心な気がします。
若いお母さんなどに話を聞くと、びっくりするくらい英語や知育、運動系の教室に通っていたりして、小さな子も忙しそうだなと思ってしまいます。
意思表示がしっかりできない年齢でもあるので、しっかりと話を聞いて楽しいと思っているかつらくないかを読み取ってあげて親の押し付けにならないように気を付けなければいけません。
ゆとり教育って結局なんだったの?ゆとり世代が感じた実感
いわゆるゆとり世代というのは、本来の子供が持つ個性を伸ばして向上心のある子どもはその才能を自由に伸ばすことができた世代ということだと思います。
私の関わってきた後輩の中にも出来る人はものすごく優秀で、出来ない人はすぐに会社を辞めていった人が多く、その差の大きさに驚いた記憶があります。
そもそも本来の趣旨が、無理のない学習環境で子供たちがみずから学び考える力の育成を目指した教育のことで、知識の詰め込み教育や過度の受験競争が教育方法として問題があるとされて、偏差値重視の教育を廃止してゆとりのある教育をめざそうとしたものでした。
しかし、ゆとり教育の内容が個性の重視や自主性の尊重を目的としていたにもかかわらず、授業数の減少や教師の過度な慎重主義により、規律を守る忍耐力や嫌なことに対する耐性が弱く、結果、自主性のない嫌なことから逃げ出す大人を多く作り出してしまったといわれております。
結果的にゆとり教育は、優秀な人物と優秀でない人物の格差を広げてしまうという皮肉な結果を生み出してしまったともいえるかもしれません。
興味深いデータとして、ゆとり世代を生きてきた人たちに話を聞くと70%の人が良くなかったと感じているそうです。
しかし、私はゆとり教育をすべて否定してご家庭において足りない分を補うために勉強をしなければならない場所になってしまい、本来安心できるはずの場所が緊張感に支配されてしまうとしたら、それが良いことだとは思いません。
子供にとって一番大切なのは、帰りたいと思うほど安心できる場所が我が家であるということだと思います。
ゆとり世代と言われる若い人たちが成人して子供を持つようになって、自分が子供を育てるときに、反動のように教育熱心になってしまう親御さんを見かけることがあります。
そんな人たちにこそ育てるという立場ではなく、話を聞いてあげて子供と一緒に育っていく
という意識を大切にしてほしいと思います。
まとめ
結局、結論としてはどの教育方法が良いということではなくやりすぎれば何事も悪い方向に向かうということなのでしょう。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということわざもあるようにやりすぎないということが一番大切で、そのあたりが教育の本当に難しいところなんだと思います。
「やればできる子」であるとか「うちの子は大丈夫」とか、安易な考え方に逃げずに、今、自分の子供が「何ができるのか」「何をしたいのか」を理解してあげられるように、リアルタイムで子供に真正面から向き合って話を聞いてあげることが大切なんだと思います。
子育てに絶対大丈夫という方法はありません。毎日、複雑に成長していく子供との会話をしていくことで頭が良いだけでなく、人のことを思いやれる人間に成長させてくれるでしょう。